琵琶法師の毛づくろい


by miminashibiwa

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船橋 若松劇場 ぶらぶら日記


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1月8日、船橋にある「若松劇場」へ初めて伺う。此処はストリップ劇場。
扉を開けると大音量の曲に会わせ、若く美しい、手足の長い女性が踊っていた。
お正月あけの昼下がりで、来ている人は年配の人がほとんどだ。
やがて曲が変わると着ていた物を脱ぎ始め、細く引き締まった身体は
とうとう生まれたままの姿になってしまった。
思わず客席からは拍手が起る。

今日は、トリを飾る千葉なぎささんと、牧瀬茜さんの踊りを見にやってきた。
昨年お手伝いした仕事を確かめに。
千葉さんは弁慶のような出で立ちで長刀を構え、牧瀬さんは牛若丸のような拵え。
やがて二人は剣を交え、激しい立ち回りが繰り広げられる。
刀と長刀なので、狭い舞台は今にも刃があたりそう。迫力!
和解が生まれ、互いの力を認め合い、同士となって旅を続ける。

しばらく行くと敵に襲われ、大立ち回りの末、とうとう二人は命を落とす。
茜さんが傷を負い、なぎささんが庇いながら戦うところもいじらしかったなー。
勢い余って長刀が客席にとんでいったのには吃驚。空いててよかった。

暗転の後、明かりが入ると一転して二人は全裸。拍手。
此処から二人の絡み合う踊りが始まる。
着物を脱ぐところをカットしていたので、二人の裸身は唐突で、新鮮で美しい。
それでいながら物語は続き、天上での二人の愛が花開いたかのよう。
絡み合いもつれ合い、探り合いひらき合いあいあいあい、、、
喘ぐ二人に客席も興奮のるつぼ。拍手。

前半の大立ち回りといい、後半の絡み合いといい、相当にハードな演し物に思えた。
大きなドラマを求め、新しい分野に分け入ろうとしているのだろうか?
あいにく、ストリップ経験の少ない私には判らない。
最後は出演者総出で太鼓の共演。羽子板で羽根つき。
お屠蘇も振る舞われ、正月のなかった私が、やっと正月気分を満喫させてもらった。

小屋の外で二人を待ち、洋服に着替えた二人とスリーショット。

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     牧瀬茜さんと、千葉なぎささんに囲まれて デレデレのわたくし。


二人は疲れも見せず、ケロッとしていた。すごいね〜
陽はまだ高い。古い佇まいを残す裏道を駅に向かいながら、
今どき懐かしい作りの珈琲屋に飛びこんだ。ホット・ココア、思いがけず美味し。

* この公演は、1月10日で終了です。
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# by miminashibiwa | 2008-01-09 20:11 | 耳ざわり通信

新年の迎え方


暮れの28日に、北海道苫小牧にいる伯父が亡くなってさあ大変。
帰省ラッシュのピークで航空券が手に入らない。
電話をし続け、31日の夕方の便をやっと一枚手に入れる。

内地(北海道は外地)から来る人がチケットを取れないので、お通夜が2日に延びる。

さすがに北海道は寒いな。千歳空港の外に出て、慌ててコートに袖を通す。
苫小牧迄は雪が少なく、外は淋しい大晦日の夜で、ほとんど行き交う人がない。

駅で斎場の場所が分からず、うろうろしたが何とかたどり着く。
伯母と先に来ていた従姉妹と三人で食事をし、年越しそばのない大晦日。
こんな事もあろうかと、前の日の30日に食べておいてよかった。

結局、伯母と二人、斎場で一夜を明かすことになる。
食事の時皆で飲んだビールと小瓶の酒だけという、大晦日にあるまじき酒の量。
疲れている伯母を寝せ、ガリヴァー旅行記を読みながら寝ずの番。
朝日が見えるまでと思ったが、5時すぎに布団に入ってしまった。

二時間ほど寝て、斎場で迎える新年。こんな日を考えたこともなかった。
朝食も少しだけ正月らしさが入っていたが、もちろん雑煮はない。
斎場に泡の出る大風呂があり、朝まで入れるので二度入り、これは助かった。

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          1月2日午前7時5分 苫小牧の日の出

三が日を斎場で過ごし、今度は帰りのチケットが取れなくなった。
4日〜7日まで満席で、電話ではどうにもならず、パソコンで何とか取ってもらう。
突然5日の午前中のが取れ、キャンセルしていた朗読教室を急遽再会。
羽田から京急で横浜、東神奈川に出て横浜線に乗り変え長津田。
長津田から東急田園都市線で田奈と、1時間半かけてやっと辿り着く。

空港で、リュックのショルダーが片方切れて背負えなくなり、もう片方で担いだり
手で持ったりとうまく運べない。
某国内有名アウトドアメーカーの商品だけに怒りが沸々と湧いてきた。
まだ1年も使ってないぞー!

帰宅して、正月用に取っておいた生濁り酒「ど」のキャップにある小穴に爪楊枝で
穴をあけると、中の発酵している酒が細い糸となって勢い良く飛び出し、
しばらくグラスに出して治まったと思いキャップを取ると、今度は酒が吹き飛び、
部屋中に飛び散ってしまった。しばし呆然。この惨状をどうしたらいいのか。
その上この酒は身体の中でも大暴れ、トホホな新年でした。
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# by miminashibiwa | 2008-01-06 22:02 | 耳ざわり通信

 ガリバーがやって来た


2005年2月16日,まつもと市民芸術館小ホールで「The Cowardly Samurai」を上演。
山本周五郎の短編を英語劇に翻案したもので、エジンバラやボストンで上演を重ね、
この年は長野県松本市の「SAYOKOの会」の方々が呼んでくれた。

この時のパンフレットの文章の中に、清水明さん(信州大学教授)が書いた
ガリバーの記述があり、聞けばスウィフト作「ガリバー旅行記」の研究者。

何か面白そうだぞと、清水先生が上京する度にお話を聞くことになった。
毎回お茶を飲みながら、英語劇の制作者や作家の稲田和浩さんが集まった。
芝居にする方法を探ることになったが、こんなに長い話とは知らなかった。
これどうするの?と、いうのが正直な感想。

私の希望で一人芝居を考えてもらう。耳なし芳一とは全然違う物が欲しかったので。

絵本では、小人達に身体中地面に縛られている絵が有名だが、
小説の「ガリバー旅行記」は絵本で読むのとは大違いで、大人の読み物だ。
小人国、大人国、空飛ぶ島ラピュタ、馬の国へと行き、様々な経験をする。

新潮文庫、岩波文庫が手に入れやすいので、是非御一読する事をお勧めします。

やがて歌入りの第一稿が出来てきて、これは琵琶ではないなと思った。
作家は琵琶歌のつもりで書いたというが、これはどう見てもバンジョーだった。

嗚呼、また大変なことになった。
バンジョーを弾けるようにしなければならない。指が動かないんだ、これが。
中学の頃から何度も挫折している物を、また引っ張り出すとは、、、
(勿論、誰もそんな事をしろなんて言ってないのですが、いい気な物です)

ここから2006年12月、穂高の絵本美術館 森のおうちでの初演まで
長い長い奮闘の日々が始まった。

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# by miminashibiwa | 2007-12-30 18:01 | ガリバーウエファース

テルケル  和田愛子さんを偲ぶ

12月22日昼過ぎ、元グループ・テルケルの稽古場、俳優の故岡田英二さんの
自宅だったところを尋ねた。
現在は、映画の字幕の仕事をしている息子さんが住んでいる。

今年、岡田さんの奥さんだった和田愛子さんが亡くなり、
第一次と第二次の「グループ・テルケル(岡田夫妻が主催した演劇グループ)」
のメンバー数人が二人を偲んで集まった。

桐朋学園の演劇科を出て専攻科に通っていた時だから30年以上前の事、
同期生に誘われテルケルの稽古を観に行くと、
岡田さんと私の友人二人が、ハロルド・ピンターの「管理人」の稽古中で、
和田さんが演出をし、もう一人の友人が助手をしていた。
これが第二次テルケルの出発だった。

羨ましいというか悔しいというか、役者に成るあてなどない時に、
昨日まで一緒の友人が劇団に入り、プロの俳優
それも大スターと三人で稽古をするなんて何という幸せか。
その上稽古場にいるのは、岡田夫妻と友人三人だけなんだから。

芝居の稽古にあわせ、問題が出る度に色々なエチュードを試みる。
一緒に体操をしたり、エチュードをやらされているうちに
何となく逃げられないような雰囲気になり、稽古場に通うようになった。
ある日、和田さんから「あんた気持ち悪いから入らない?」と言われ、
やっと、テルケルのメンバーになる。変な誘い方だよ、本当に。

木偶の坊のように何も出来ないものだから、稽古場に居るのが
辛く、苦しく、情けないのだが、見たことがないような瞬間や発想、
言葉、和田さんの怪物のようなスケールにたじたじとなりながらも、
毎日昼から夜の9時頃まで稽古場にこもっていた。

何か新しい芝居を求めての、辛くも楽しい時間が過ぎていった。
夏が過ぎ、一人が抜け、和田さんが稽古場に来なくなり、
濃密な数ヶ月が終った。

22日はその時の仲間、弓削(田川)礼文と斉藤康弘の三人で伺う。
稽古場は改築され、住居になっていた。

既に第一次テルケルのメンバーで俳優の青山達三さん、角間進さん、
それと、以前岡田さんや私のマネージャーだった豊田由起子さん
(アクターズ カンパニー社長)が来ていた。
遅れて、第一次の女優さんだった方(名前を失念)と
ドイツ文学者の岩渕達治さんもみえた。

それぞれの岡田英二さん、和田愛子さんとの濃密な時間を語り、
その時起った事や、言葉がどういう影響を与えてきたかを語り合った。
各人の話を聞くにつけ、いよいよとんでもない人達だった事を実感。
特に第一次の頃は激しかったようだ。

今日ここに居ない人の中には、心身ともに壊れてしまった人も居ただろうし、
恨みつらみを持ち続けていた人が居るかもしれない。
私の場合は、切れ切れに覚えている言葉が呪文のようにまといつき、
30年たった今も、その謎解きをしているようだ。

バラバラだった事柄が、近頃やっと像を結び始めた気がする。
私は、短い時間だったから耐えられたのかもしれない。
第一次の反省があって、和田さんの接し方が変わったのかもしれない。
しかし、この日集まった人達の人生に、なんと深く長い影響を与えた事か。

知らなかった話がたくさん語られ、日もすっかり落ちてしまった。
いつの間にか雨も降ったようだ。

いい一日だった。
あらためて二人に感謝を述べたいと思った。
翌年、岡田さんの所属するプロダクションを紹介され、
今日まで役者をやれる入口に立たせてくれた事も含めて。
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# by miminashibiwa | 2007-12-24 19:51 | 耳ざわり通信

琵琶との出会い

ある年の、暮れのことだった。まにまアートの立沢雅人さんから電話がきた。
桐朋学園演劇科の先輩で、以前俳優座劇場で「肥前風土記」に出たのを見たという。
翌年上演を予定している「常陸坊海尊」への出演依頼だった.
題名は知っていたが、読んだことはない。役は[第二の海尊]とのこと。
何でも舞台で琵琶を弾くらしく、芝居の稽古までの半年間琵琶を習ってほしいという。
琵琶はみたことも触った事もないぞ。無謀じゃないのか。

結局引き受けることになり、薩摩琵琶正派師範の吉田央舟先生の所へ連れて行かれる。
先生も[第一の海尊]役で出演することになっていた。
真白い髪を長く伸ばし、着物を着て香を焚いた部屋で琵琶に囲まれ座っていた。
ウ〜ン何者じゃ?怖そ〜!

ここで初めて聴いた琵琶の音は懐かしく、これ聞いたことがあるなと思った。
元々遺伝子に組み込まれているような気がした。オレの身体に入っているぞ、と。
この時なぜかインドのシタールを思った。倍音のせい?

しかし聴くと弾くとは大違い。指は痛い、正座で脚は痺れる、音は覚えられない!
歌に至っては、ニワトリが首を絞められているような声しか出ない。
えらい事を引受けてしまったと後悔しきり。一歩も進まない恐ろしさ。
こんなんで芝居に間に合うの? トホホ。

午前中、近くの公園で練習するも、ほんの短いフレーズをただひたすら繰り返す。
ベンチで暮らす人には厭がられ、働く人にもうるさがられ、皆怖がって声もかけない。
夜の公園で悲鳴を上げた方、すみませんでしたネ。あれ、私でした。

ところが数ヶ月が過ぎ、芝居の稽古が始まる前に公演が中止。
作家の秋元松代さんが、やらせないと言い出したらしい。
まにまアートは、秋元作品の連続上演中で、「常陸坊海尊」は最後を飾るはずだった。

こういう事は黒澤明監督の「まあだだよ」のときにもあって、その時はバイオリンで、
チゴイネルワイゼンを半年かけて練習するというものでしたね。この曲知ってます?
鈴木清順監督の映画にも同名の作品がありますね。
友達に何人もの演奏をテープに入れてもらいました。こんな難曲、早弾きどうするの?
もちろんバイオリンなんか全く弾けません。どうなる事かと思っていた矢先、
レッスンが始まる前に、何と台本の決定槁でその役が消えてしまったんです。
スタッフ一同頭を下げ、飲み屋へと連れて行かれたものでした。
あの時バイオリンを習っていたら、今頃は、、、屋根の上の、、、?

さて琵琶はどうするか?
この件がなければ一生縁のなかった楽器だし、少しは弾けるようにもなった。
このまま辞めるのは忍びない。しかし何かに使えるのだろうか?
ちっとも進まない稽古を、芝居が無くなってもやれるのかなど悩みもあったが、
幸い先生のご好意で続けられることになった。
それに少し弾けるようになると、琵琶が少し楽しくなるものだ。

これが琵琶との出会いでした。琵琶は向こうからやってきたのです。
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# by miminashibiwa | 2007-12-20 20:47 | 琵琶との出会い