琵琶法師の毛づくろい


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きみのゆくみちは

2016年1月30日(土)
キッド・アイラック・アート・ホールで「ヒグマ春夫の映像パラダイムシフト Vol.74」を観る。来月2月30日は、わたしが出演する事になっている。阿佐ヶ谷での「方丈記」差し込みチラシを持参。終わってから、その場で軽い打上げとなりワインや日本酒が出る。琵琶奏者の塩高和之さんが奥さんと来ていて、この日が塩高さんの誕生日という事が分り乾杯などあり。そのあと近くで打上げ。終電乗り遅れ、久々にぷらぷら歩く。雪でなくて良かった。かえりみちはとおかった。

昨日の打ち上げに、小泉堯史監督・黒澤明脚本「雨あがる」で、音楽の佐藤勝さんの手伝いをしたという人がいて驚いた。わたしも出演しているのでつい嬉しくなり、何度か握手を交わす。

わたしが中学生の時に流行ったブロードサイド・フォーの「 若者たち」は佐藤勝さんの作曲で、黒澤明監督の長男で「雨あがる」のプロデューサー黒澤久雄さんが歌っていた。1999年に亡くなった佐藤勝さんのお別れ会の時、ブロードサイド・フォー が「若者たち」を演奏し、私たちも一緒に歌った。この時「君のゆく道は果てしなく遠い」の歌詞が、亡くなった佐藤勝さんや年を取った列席者が、若いとき見た夢と自分がして来た仕事を振り返っているように聞こえたり、「君のあの人は今はもういない」と言う歌詞は、恋人ではなく、亡くなったり会わなくなった先生や師やお世話になった人を指しているように聞こえた。青年が見る未来ではなく、人生を振り返る逆から見た世界に思えて、興味深く覚えている。
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# by miminashibiwa | 2016-02-01 01:20 | 耳ざわり通信

しゅうさん

2016年1月28日(木)
両国のシアターXに、「TOC TOC」という芝居を観に行く。
なんと受付で、石澤秀二先生にばったり。桐朋学園演劇科の先生であり、青年座の演出家であった。昭和五年(1930)年生れというから、今年86歳になる。お元気そうで、ひと安心。
元青年座・桐朋学園演劇科出身の土師孝也さんが出演しているので、今日会うことが出来た。帰りは、駅のそばの喫茶店で話す。今まで、先生とふたりで長話をした事はなかったような気がする。
演劇科三年目の専攻科の試演会は、石澤秀二演出・別役実作「あーぶくたった、にいたった」だった。文学座アトリエで初演されたばかりの芝居だった。今日先生に確かめたら、舞台装置の電信柱を文学座から借りたのに間違いなかった。
同期のオショウの言葉だったか、「役は取るものだ。みんな演出家に電話をかけて取るんだ」というのに乗せられて、初めて先生に電話してやりたい役に立候補した。今日その話しをしたら、先生は覚えていなかったが、めでたく役がついた。その後そんな事をした覚えはない。多分?
その稽古で不思議なことが起こった。先生が来て立ち稽古になった時、目の前全面にダリの画が現われたのである。あのぐにゃりとしたような画ではなかった。その画を見ながら台詞を言い続けた。そのシーンは幕開きの、金屏風の前で花嫁花婿が話しているというところである。少し前に、西武美術館でダリ展を見ていたが、その画は記憶がなく、ふたたび見に行ってみたが目を引くような画ではなかった。もう一度起こらないかと、その画をイメージしながらやってみたが、何度かあったかなかったか。見ている人も、先生も当然そんな事は分らないのだが、面白い現象だった。土色の地面が描かれているような画だったと記憶している。

先生の奥さまは、劇作家の石澤富子さんである。「琵琶伝」という戯曲集が出ていて、以前から持っていた。「琵琶伝」は琵琶法師が出て来るので、1期生のマサフミさんから勧められた事もあるが、出演者も多く、劇団や演劇グループに所属していないわたしには無理な話と思っていた。何度か読みかけたことはあるが、読了したのか疑問であった。
今日は先生と、その「琵琶伝」の話しになった。本には未上演となっているが、観世寿夫さんの冥の会で、話しを短縮し出演者も少なくしてやった事があるという。
話しているうち先生は、戯曲を短くして琵琶の語り物にして、ひとりでやったらどうかと言われた。予想もしていなかったので驚くと同時に、なんと嬉しい(恐ろしい)事かと思った。手伝ってくれるとも言ってくれた。
帰って「琵琶伝」を読む。これは大変!やはり未読だったようだ。
唸っている。一度読んだだけでは、まったく手が出ない。調べる事も多そうだ。言葉はすばらしい。いい台詞がいっぱいある。凄い人だったのだな、石澤富子さんは。
今日芝居を観に行って良かったと、つくづく思った。土師さんに感謝。
しかし、またまた嬉しい悲鳴をあげることになった。
う〜ん。まず、寝よう。
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# by miminashibiwa | 2016-01-29 02:22 | 耳ざわり通信

しゃんはい

2016年1月27日(埀)
再読となる堀田善衛「方丈記私記」はノートなど取りながら読んだのだが、やはり無類の面白さであった。一度目は何を読んでいたのだろうと思ってしまう。すぐまた読みたいとさえ思う。私の能力ではノートを取ろうとすると、ほとんど全部書き写さねばならぬようなことになってしまった。普段はそんなことをしようとすると、書いているはなから飽きてしまうのだが。
どこまでも知りたいことが増えて来るのが嬉しいような、困ったような。手を出さないようにしていた、西行や法然や親鸞や道元や日蓮も気になる。日蓮以外は、鴨長明の生きた時代と重なっている。読まなければならぬ時期が来たのか。
むかし親鸞の名の入った本を買った気がしたので探したら、本棚の奥の方から「親鸞 不知火よりのことづて」(吉本隆明・桶谷秀昭・石牟礼道子)というのが出て来た。もう一冊くらい何かあったような?さて、読むのか?

そう思いつつも堀田善衛への興味も尽きず、つい「上海にて」「堀田善衛 上海日記 滬上天下(こじょうてんか)一九四五」に手を出してしまった。「方丈記私記」を書くことにもなった、1945年3月10日の東京大空襲のあと、堀田はその月の末から上海へ行き1年9ヶ月を過ごす。何が書かれているのだろうか。武田泰淳の所に泊まったりしている。

私も1991年にTVのロケで1週間近くいた上海が気にかかる。戦時中の淡谷のり子の中国公演などを撮ったので、古いホテルの舞台や、ロケのために特別に走らせた満鉄の「あじあ号」(多分)でのロケもあり、鉄道ファンだった草薙幸二郎さんを当時おおいに羨ませたものだ。古い町並みもまだ残っており、上海で買った人民帽をかぶり、ひとりカメラ(コンタックス T)片手に散策したものだ。二眼レフカメラ、上海海鷗(シャンハイシーガル)を売っている店を探して、身振り手振りで2台買って帰ったのもいい思い出。確か薄い紙の箱に入り、雑貨みたいな感じで受け取った記憶がある。6月だったので梅雨と重なり、ひどい日はネットリした空気が肌にまとわりついて、スチーム風呂の中を歩いているような始末だった。街の匂いも忘れがたい。夕方になると着飾って街に出て来る人の群れも新鮮だった。竹で組んだ工事現場の足場、家の外にテーブルを出して家族で食事をする景色。ほとんど詰まっていた、ロケ用の便所専用バス。大きな肉の塊が入った、美味しかったロケ弁当の味。ホテルの朝食のお粥のおいしかったこと。中国人のスタッフは、食事に同席出来なかった事。キャメラを移動する車を動かすのが上手い人がいて、監督がどうしてもと、彼だけ自分のテーブルに呼んで食事を一緒にした事。照明の電球がしょっちゅう切れた事。日本人のスタッフが切れて、中国の人たちに申し訳ない事をした事。中国側のスタッフは、インスタント珈琲の大きなビンに茶っ葉を入れていて、近くの家でお湯を貰いそこに入れてもらい飲んでいた事。事情で、国賓待遇で入国となり、日本側と中国側の夕食の接待合戦となり、高級料理店に何度も言ったけれどあまり味が思い出せない事。市場で、その場で重さを聞き麺をのばし茹でてくれる牛肉スープのソバの味。冷やしていない泥のついたビールビン。それをピンクの、内側にいっぱい黒い傷のついたプラスチックのカップで飲んだ店の景色。多分、昼に和平飯店のステージでロケがあり、夜に出演者と「上海バンスキング」の時代から演奏していたような爺さんたちのライブを聴きに行った時、わたしが小道具のヴァイオリンケースを持っているのをバンマスが見つけて、ステージに上がってこいと手招きをされた事。仲間たちも出ろと冷やかすが、ヴァイオリン弾きのバンマスの役はやっていても、まったく弾けやしないので冷や汗をかいた事。
いつまでも脱線をするは、思い出すと切りがなくなるはで、本日終了。
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# by miminashibiwa | 2016-01-28 02:27 | 耳ざわり通信

さいげつふたい

2016年1月25日(月)
今日のTVで、多分同じ年と思われる人の口から歳月不待という言葉を聞いた。知らなかった。時は、人の都合で待ってはくれない。誰だって人生をやり直せるものならやり直したいだろうが、そうはいかないんだとその人は言う。浅はかな私は、一瞬、やり直す人生がどんなものかと考えた。自分はどの時に戻って、何処に行きたいのだろうか、何処へ行けたのだろうかと。すぐ浮かんだのが、レストランや喫茶店でアルバイトをしている景色だった。あそこから何処へ行くのだろう。調理場に入りコックにでもなれというのか?そういえば、学生時代しばらく目白のアパートで一緒に暮らしたタチバナ君は、なぜあのまま料理人にならんのだとよく言っていたっけ。とても面白い仕事だと思ったが、今自分が料理人になっているとも思えない。では、どの時代のどのガールフレンドとどうなっていたら、今どうなのだと馬鹿な想像をしてみたが、これもやはり誰とどうなるともどうなりたいとも、とくに何も思い浮かばないのであった。いやいや、役者として何処でどうなっていたら、どうなのだ。どの仕事、どの芝居、どの振る舞いをやり直せたらどうなのだと考えるが、もう少し若いときは悩んだり悔やんだり恨んだり頼んだり願ったり謝ったり妬んだりなどなどしたが、今はそんなエネルギーは無くなってきた。こう言ってしまうと、ちょっと嘘があるか。身体的には、時がもう待ってくれないのもよく分かる。今のエネルギーで出来ることを、あまり怠けず誠実にやる意外なさそうだ。しかし、やり直す人生が思い浮かばない自分も、どうしたものかと思ってしまう。欲望の量が減っているようだ。これは、いけない。方丈記の鴨長明だって無常なんて言いながら、60にして恨みつらみ、居直り、開き直り、ふて腐れ、厭味を大っぴらに書いているではないか。
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# by miminashibiwa | 2016-01-26 02:13 | 耳ざわり通信

琵琶で聴く 冬の怪談

2016年1月23日(土)
朝から相模大野へ行く。鴨長明の800年後の祥月命日である6月10日に、相模原南市民ホールで「方丈記」の公演をさせてもらうことが正式に決まった。楽琵琶・塩高和之、5弦ウッドベース・水野俊介、映像・ヒグマ春夫との共演である。館長の柏木さんと、スタッフの松本さんとの三人で打ち合わせる。13時半から、すぐ隣りの大野南公民館での『文化講座 朗読「方丈記」を読む』講師 栗原一郎さん(文学者)に出るつもりで予約までしていたが、前日に今夜のライブの稽古が出来なかったため涙を飲んで帰った。お二人は出席されたようなので、後で話しを聞かせてもらおう。

さて相模大野を後にして、霙のような雨の降る中を、今夜の「琵琶で聴く 冬の怪談」朗読の相棒である琵琶の塩高和之さんと稽古。細かいところまで詰めて、本番はライブ感を大切にしてやることにする。

「琵琶で聴く 冬の怪談」1月23日(土)19時30分開演 阿佐ヶ谷 名曲喫茶「ヴィオロン
[出演]  琵琶語り 青山藍子 / 琵琶語り 尼理愛子・尺八 吉岡龍之介・Per 金沢白文 / 琵琶 塩高和之・朗読 伊藤哲哉。
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だいぶ頭が光ってしまった。陰謀か?
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右で大きな琵琶を持っているのが塩高和之さん。

若い頃、グループ・テルケルで一緒に芝居をしたペペとレーモンが来てくれた。この夜は、琵琶の一人語り・トリオ・朗読と琵琶演奏という面白い組み合わせだった。本番は暖房を切ったため、最後に出た私と塩高君の時はだいぶ寒くなった。怪談話しで背中をぞ〜っとさせるより、寒気がお客さんを冷えさせてしまった。帰りは久し振りに、ぺぺ・レーモンと飲む。話が尽きなく、気付いたときは終電ぎりぎり。中央線は、終電要注意。
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# by miminashibiwa | 2016-01-25 01:37 | 耳ざわり通信