琵琶法師の毛づくろい


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 ガリバーがやって来た


2005年2月16日,まつもと市民芸術館小ホールで「The Cowardly Samurai」を上演。
山本周五郎の短編を英語劇に翻案したもので、エジンバラやボストンで上演を重ね、
この年は長野県松本市の「SAYOKOの会」の方々が呼んでくれた。

この時のパンフレットの文章の中に、清水明さん(信州大学教授)が書いた
ガリバーの記述があり、聞けばスウィフト作「ガリバー旅行記」の研究者。

何か面白そうだぞと、清水先生が上京する度にお話を聞くことになった。
毎回お茶を飲みながら、英語劇の制作者や作家の稲田和浩さんが集まった。
芝居にする方法を探ることになったが、こんなに長い話とは知らなかった。
これどうするの?と、いうのが正直な感想。

私の希望で一人芝居を考えてもらう。耳なし芳一とは全然違う物が欲しかったので。

絵本では、小人達に身体中地面に縛られている絵が有名だが、
小説の「ガリバー旅行記」は絵本で読むのとは大違いで、大人の読み物だ。
小人国、大人国、空飛ぶ島ラピュタ、馬の国へと行き、様々な経験をする。

新潮文庫、岩波文庫が手に入れやすいので、是非御一読する事をお勧めします。

やがて歌入りの第一稿が出来てきて、これは琵琶ではないなと思った。
作家は琵琶歌のつもりで書いたというが、これはどう見てもバンジョーだった。

嗚呼、また大変なことになった。
バンジョーを弾けるようにしなければならない。指が動かないんだ、これが。
中学の頃から何度も挫折している物を、また引っ張り出すとは、、、
(勿論、誰もそんな事をしろなんて言ってないのですが、いい気な物です)

ここから2006年12月、穂高の絵本美術館 森のおうちでの初演まで
長い長い奮闘の日々が始まった。

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# by miminashibiwa | 2007-12-30 18:01 | ガリバーウエファース

テルケル  和田愛子さんを偲ぶ

12月22日昼過ぎ、元グループ・テルケルの稽古場、俳優の故岡田英二さんの
自宅だったところを尋ねた。
現在は、映画の字幕の仕事をしている息子さんが住んでいる。

今年、岡田さんの奥さんだった和田愛子さんが亡くなり、
第一次と第二次の「グループ・テルケル(岡田夫妻が主催した演劇グループ)」
のメンバー数人が二人を偲んで集まった。

桐朋学園の演劇科を出て専攻科に通っていた時だから30年以上前の事、
同期生に誘われテルケルの稽古を観に行くと、
岡田さんと私の友人二人が、ハロルド・ピンターの「管理人」の稽古中で、
和田さんが演出をし、もう一人の友人が助手をしていた。
これが第二次テルケルの出発だった。

羨ましいというか悔しいというか、役者に成るあてなどない時に、
昨日まで一緒の友人が劇団に入り、プロの俳優
それも大スターと三人で稽古をするなんて何という幸せか。
その上稽古場にいるのは、岡田夫妻と友人三人だけなんだから。

芝居の稽古にあわせ、問題が出る度に色々なエチュードを試みる。
一緒に体操をしたり、エチュードをやらされているうちに
何となく逃げられないような雰囲気になり、稽古場に通うようになった。
ある日、和田さんから「あんた気持ち悪いから入らない?」と言われ、
やっと、テルケルのメンバーになる。変な誘い方だよ、本当に。

木偶の坊のように何も出来ないものだから、稽古場に居るのが
辛く、苦しく、情けないのだが、見たことがないような瞬間や発想、
言葉、和田さんの怪物のようなスケールにたじたじとなりながらも、
毎日昼から夜の9時頃まで稽古場にこもっていた。

何か新しい芝居を求めての、辛くも楽しい時間が過ぎていった。
夏が過ぎ、一人が抜け、和田さんが稽古場に来なくなり、
濃密な数ヶ月が終った。

22日はその時の仲間、弓削(田川)礼文と斉藤康弘の三人で伺う。
稽古場は改築され、住居になっていた。

既に第一次テルケルのメンバーで俳優の青山達三さん、角間進さん、
それと、以前岡田さんや私のマネージャーだった豊田由起子さん
(アクターズ カンパニー社長)が来ていた。
遅れて、第一次の女優さんだった方(名前を失念)と
ドイツ文学者の岩渕達治さんもみえた。

それぞれの岡田英二さん、和田愛子さんとの濃密な時間を語り、
その時起った事や、言葉がどういう影響を与えてきたかを語り合った。
各人の話を聞くにつけ、いよいよとんでもない人達だった事を実感。
特に第一次の頃は激しかったようだ。

今日ここに居ない人の中には、心身ともに壊れてしまった人も居ただろうし、
恨みつらみを持ち続けていた人が居るかもしれない。
私の場合は、切れ切れに覚えている言葉が呪文のようにまといつき、
30年たった今も、その謎解きをしているようだ。

バラバラだった事柄が、近頃やっと像を結び始めた気がする。
私は、短い時間だったから耐えられたのかもしれない。
第一次の反省があって、和田さんの接し方が変わったのかもしれない。
しかし、この日集まった人達の人生に、なんと深く長い影響を与えた事か。

知らなかった話がたくさん語られ、日もすっかり落ちてしまった。
いつの間にか雨も降ったようだ。

いい一日だった。
あらためて二人に感謝を述べたいと思った。
翌年、岡田さんの所属するプロダクションを紹介され、
今日まで役者をやれる入口に立たせてくれた事も含めて。
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# by miminashibiwa | 2007-12-24 19:51 | 耳ざわり通信

琵琶との出会い

ある年の、暮れのことだった。まにまアートの立沢雅人さんから電話がきた。
桐朋学園演劇科の先輩で、以前俳優座劇場で「肥前風土記」に出たのを見たという。
翌年上演を予定している「常陸坊海尊」への出演依頼だった.
題名は知っていたが、読んだことはない。役は[第二の海尊]とのこと。
何でも舞台で琵琶を弾くらしく、芝居の稽古までの半年間琵琶を習ってほしいという。
琵琶はみたことも触った事もないぞ。無謀じゃないのか。

結局引き受けることになり、薩摩琵琶正派師範の吉田央舟先生の所へ連れて行かれる。
先生も[第一の海尊]役で出演することになっていた。
真白い髪を長く伸ばし、着物を着て香を焚いた部屋で琵琶に囲まれ座っていた。
ウ〜ン何者じゃ?怖そ〜!

ここで初めて聴いた琵琶の音は懐かしく、これ聞いたことがあるなと思った。
元々遺伝子に組み込まれているような気がした。オレの身体に入っているぞ、と。
この時なぜかインドのシタールを思った。倍音のせい?

しかし聴くと弾くとは大違い。指は痛い、正座で脚は痺れる、音は覚えられない!
歌に至っては、ニワトリが首を絞められているような声しか出ない。
えらい事を引受けてしまったと後悔しきり。一歩も進まない恐ろしさ。
こんなんで芝居に間に合うの? トホホ。

午前中、近くの公園で練習するも、ほんの短いフレーズをただひたすら繰り返す。
ベンチで暮らす人には厭がられ、働く人にもうるさがられ、皆怖がって声もかけない。
夜の公園で悲鳴を上げた方、すみませんでしたネ。あれ、私でした。

ところが数ヶ月が過ぎ、芝居の稽古が始まる前に公演が中止。
作家の秋元松代さんが、やらせないと言い出したらしい。
まにまアートは、秋元作品の連続上演中で、「常陸坊海尊」は最後を飾るはずだった。

こういう事は黒澤明監督の「まあだだよ」のときにもあって、その時はバイオリンで、
チゴイネルワイゼンを半年かけて練習するというものでしたね。この曲知ってます?
鈴木清順監督の映画にも同名の作品がありますね。
友達に何人もの演奏をテープに入れてもらいました。こんな難曲、早弾きどうするの?
もちろんバイオリンなんか全く弾けません。どうなる事かと思っていた矢先、
レッスンが始まる前に、何と台本の決定槁でその役が消えてしまったんです。
スタッフ一同頭を下げ、飲み屋へと連れて行かれたものでした。
あの時バイオリンを習っていたら、今頃は、、、屋根の上の、、、?

さて琵琶はどうするか?
この件がなければ一生縁のなかった楽器だし、少しは弾けるようにもなった。
このまま辞めるのは忍びない。しかし何かに使えるのだろうか?
ちっとも進まない稽古を、芝居が無くなってもやれるのかなど悩みもあったが、
幸い先生のご好意で続けられることになった。
それに少し弾けるようになると、琵琶が少し楽しくなるものだ。

これが琵琶との出会いでした。琵琶は向こうからやってきたのです。
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# by miminashibiwa | 2007-12-20 20:47 | 琵琶との出会い

耳なし芳一の出来るまで


2001年初春、琵琶の師匠吉田央舟先生の持っていた芝居小屋「スペース仙川」が解体
されることになりお別れ会が催されることになった。

私も何かやるように言われ、とても人前に出せるレベルではなかったが、
先生の演し物でもある「耳なし芳一」を椅子に座ったままの琵琶独り語りにし、
台本も演出も変えて自分流のやり方で語ることにした。
歌は習っていた「壇ノ浦」を使う。

稽古をするうち、やっていることに確信が持てなくなり、誰かに観て貰うことにした。
やっと思い当たったのが、芝居小屋の隣駅にすむ草薙幸二郎さん。大先輩の俳優だ。

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             草薙幸二郎さん
          2007年10月「いのちの華」公演 楽屋にて

惜しくも2007年11月11日、78年の生涯を閉じた。前日まで舞台に立ち、
千秋楽を終え、翌日幕を閉じた人生は天晴れと言うほかない。

草薙さんには「もしつまらなかったら即刻中止するのではっきり言ってほしい」
とお願いする。
何を勘違いしたか、知人のプロデューサーやカメラマンを連れて見にきた。
幸い草薙さんは面白がってくれ、
いくつか注意点を述べ是非ものにするように言ってくれた。

お別れ会当日は、目と鼻の先にある母校桐朋学園演劇科の同窓会と重なり、
何人もの知人が通っていく。
小屋は、昔の劇団員や友人・知人・関係者で超満員。
踊りや人形劇、楽器の演奏などが続いた。

「耳なし芳一」の初舞台は、一人で一時間以上しゃべり続けるものなので、
この話が最後まで行き着くのだろうかと不安になる程の長い旅だった。
お客さんの静けさも、一層不安をかき立てる恐ろしさがあった。
今にして思えば相当ひどい出来だったと思うが、
厚かましくも笊をまわし投げ銭をお願いしてしまう。

思いがけず、御祝儀がいっぱい入り
これに味を占めた私は、早速売り込み用にチラシを作る。
友人のカメラマンや編集者が、これが最後だぞと言いつつ作ってくれた。
友人・知人にチラシを送ると、何人かから待ってましたの声。
持つべきものは何とかである。嬉しかった。
富山県高岡市の焼肉屋、鉄木真(テムジン)の中川さんには出来立てを持参した。

2001年初夏、こうして耳なし芳一の旅が始まった。
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# by miminashibiwa | 2007-12-19 21:00 | 耳なし芳一

プロフィール   ( 映画 )

主な出演作品

黒澤明監督 「乱」「夢」「まあだだよ」          
伊丹十三監督 「マルサの女」「マルサの女2」「あげまん」「ミンボーの女」「大病人」
倉本聡監督 「時計」                   
中田新一監督 「BE FREE!」               
後藤秀司監督 「ペエスケ ガタピシ物語」         
佐藤純弥監督 「おろしや国酔夢譚」            
恩地日出夫監督 「結婚」                 
杉田成道監督 「ラストソング」              
ハル・ハートリー監督 「FLIRT フラート」         
崔洋一監督 「マークスの山」              
北野武監督 「みんな〜やってるか!」           
森崎東監督 「美味しんぼ」                
林海象監督 「私立探偵・濱マイクシリーズ 罠」      
小泉堯史監督 「雨あがる」                 

       
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# by miminashibiwa | 2007-12-18 22:47 | プロフィール