琵琶法師の毛づくろい


by miminashibiwa

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しゃんはい

2016年1月27日(埀)
再読となる堀田善衛「方丈記私記」はノートなど取りながら読んだのだが、やはり無類の面白さであった。一度目は何を読んでいたのだろうと思ってしまう。すぐまた読みたいとさえ思う。私の能力ではノートを取ろうとすると、ほとんど全部書き写さねばならぬようなことになってしまった。普段はそんなことをしようとすると、書いているはなから飽きてしまうのだが。
どこまでも知りたいことが増えて来るのが嬉しいような、困ったような。手を出さないようにしていた、西行や法然や親鸞や道元や日蓮も気になる。日蓮以外は、鴨長明の生きた時代と重なっている。読まなければならぬ時期が来たのか。
むかし親鸞の名の入った本を買った気がしたので探したら、本棚の奥の方から「親鸞 不知火よりのことづて」(吉本隆明・桶谷秀昭・石牟礼道子)というのが出て来た。もう一冊くらい何かあったような?さて、読むのか?

そう思いつつも堀田善衛への興味も尽きず、つい「上海にて」「堀田善衛 上海日記 滬上天下(こじょうてんか)一九四五」に手を出してしまった。「方丈記私記」を書くことにもなった、1945年3月10日の東京大空襲のあと、堀田はその月の末から上海へ行き1年9ヶ月を過ごす。何が書かれているのだろうか。武田泰淳の所に泊まったりしている。

私も1991年にTVのロケで1週間近くいた上海が気にかかる。戦時中の淡谷のり子の中国公演などを撮ったので、古いホテルの舞台や、ロケのために特別に走らせた満鉄の「あじあ号」(多分)でのロケもあり、鉄道ファンだった草薙幸二郎さんを当時おおいに羨ませたものだ。古い町並みもまだ残っており、上海で買った人民帽をかぶり、ひとりカメラ(コンタックス T)片手に散策したものだ。二眼レフカメラ、上海海鷗(シャンハイシーガル)を売っている店を探して、身振り手振りで2台買って帰ったのもいい思い出。確か薄い紙の箱に入り、雑貨みたいな感じで受け取った記憶がある。6月だったので梅雨と重なり、ひどい日はネットリした空気が肌にまとわりついて、スチーム風呂の中を歩いているような始末だった。街の匂いも忘れがたい。夕方になると着飾って街に出て来る人の群れも新鮮だった。竹で組んだ工事現場の足場、家の外にテーブルを出して家族で食事をする景色。ほとんど詰まっていた、ロケ用の便所専用バス。大きな肉の塊が入った、美味しかったロケ弁当の味。ホテルの朝食のお粥のおいしかったこと。中国人のスタッフは、食事に同席出来なかった事。キャメラを移動する車を動かすのが上手い人がいて、監督がどうしてもと、彼だけ自分のテーブルに呼んで食事を一緒にした事。照明の電球がしょっちゅう切れた事。日本人のスタッフが切れて、中国の人たちに申し訳ない事をした事。中国側のスタッフは、インスタント珈琲の大きなビンに茶っ葉を入れていて、近くの家でお湯を貰いそこに入れてもらい飲んでいた事。事情で、国賓待遇で入国となり、日本側と中国側の夕食の接待合戦となり、高級料理店に何度も言ったけれどあまり味が思い出せない事。市場で、その場で重さを聞き麺をのばし茹でてくれる牛肉スープのソバの味。冷やしていない泥のついたビールビン。それをピンクの、内側にいっぱい黒い傷のついたプラスチックのカップで飲んだ店の景色。多分、昼に和平飯店のステージでロケがあり、夜に出演者と「上海バンスキング」の時代から演奏していたような爺さんたちのライブを聴きに行った時、わたしが小道具のヴァイオリンケースを持っているのをバンマスが見つけて、ステージに上がってこいと手招きをされた事。仲間たちも出ろと冷やかすが、ヴァイオリン弾きのバンマスの役はやっていても、まったく弾けやしないので冷や汗をかいた事。
いつまでも脱線をするは、思い出すと切りがなくなるはで、本日終了。
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by miminashibiwa | 2016-01-28 02:27 | 耳ざわり通信